平成22年(2010) 行事報告

秋季演能会    10月24日(日)    会津能楽堂   

能「松虫」  

前シテ 鈴木圭介 

   後シテ 佐藤ヨシカ 

       ワキ 伊東 正   ツレ荒川 勝 木村武晴

         大 坂内庄一 小 折笠成美 笛 山田和彦

         地謡 星 英男 相良 実 皆川米作 相田幸三

             平林光雄 中村寿男 佐藤信英 一条正夫

      後見役   松川善之助 丑米義弘 小野木 保 佐野健一

ワキが出て身分・役割(阿倍野の市で酒を売る一人の男を謡い、能「松虫」の流れを言う。この後ワキ座(右手前)に座る
 シテがツレ2名と共に秋の情景・描写を謡う。長袴が気になる観客も多い 男たちは阿倍の市路へ進む。途中で笠を脱ぐ。舞台を前後に動くだけだがみ、遠里に移動したことになる。シテは待っていた店の主人(ワキ)から酒を勧められる。
「松虫の音を聞くと友を思い出す」とは、どんな意味かと主人に尋ねられ、いわれを語る。前シテの聞かせどころである。この後、笠をかぶって後半の運び(所作)になる。  地謡に合わせて、舞台をぐるぐると回る運びで表現している。ワキに向って「弔い給え」と袖を振る所作以外は一般には判りにくい。
「私はここで友を失った男の亡霊である」と男は明かし、「村人が我々を弔っていることに感謝する」と言い、友を忍ぶ松虫の音にともなって帰って行く。(中入り) 「あら有り難やの弔いかな」と後シテ(亡霊)が現われて、「中の舞」を舞いはじめますが、合わせる笛は「男舞」の笛という特殊演出です。

亡霊は「友情の思い出」、「酒の徳」を謡いながら、秋の野にすだく虫の音に合わせて舞い続けます。面は邯鄲男 空が明け始めると、亡霊は消え去り、あとには草茫々と生い茂る阿倍野の原は虫の音だけが残ります。 当日も観客が去ったあとの能楽堂は虫の音だけが残りました。野外ならではの余韻を楽しまれた方がいらっしゃったでしょうか?
 

                  「嵐山」 佐藤 仁             「高野物狂い」 有我嘉雄

 素謡 「絵馬」 番組トップのだしもの。 宝円会、龍宝会の皆さん 七騎落」、気合いの入った見事な謡いでした。「さすがベテラン揃い」とのひそひそ話が聞かれました。喜宝会、輝雲会の皆さん

●松虫あらすじ Matsumushi
摂津の国(現、大阪府)の阿倍野の市で酒を売る一人の男がいました。この酒店に毎日のようにやって来る若い男たちが居ました。店の主人は男たちに酒を勧めます。そして、主人は人の心を慰める和歌を詠じてくれと男たちに依頼します。男たちは勧めに応じて酒宴をし、秋風、暖め酒、薬と菊花、月影、松虫、などの言葉を使って和歌を詠じます。
主人は「松虫の音を聞くと友を思い出す」とは、どんな意味かと尋ねます。一人の男(シテ)は次のような物語をはじめます。
昔、松虫の鳴くこの阿倍野の松原 を二人連れの男が通りました。一人が、松虫の美しい鳴き声を慕って野原に入って行きました。残った一人がしばらく待ったが友は戻ってきませんでした。残った一人が友を捜しに行くと友は草の中に臥して死んでいたのでした。死ぬなら友と一緒とさえ思っていた男は、嘆き悲しみながら、ひそかに友を土中に埋めました。
しかし、どうしたわけか「松虫の音を聞くと友を思い出す」という噂が広がってしまった。「私は松虫の音に引かれてここに来たが、実は私はここで友を失った男の亡霊である」と男は言います。
亡霊は、「村人が我々を弔っていることに感謝する」と言い、阿倍野の原に消えていきました。(中入り)
主人は風の吹く寒い阿倍野の原で男たちの回向をしています。すると先ほどの亡霊が現れます。亡霊は酒と友情のすばらしさを謡いながら、秋の野にあふれる虫の歌に合わせて舞いはじめます。空が明け始めると、亡霊は残念そうに消えて行きます。亡霊の去った後には草茫々と生い茂る阿倍野の原は虫の音だけが残ります。

                                                                                   (文責ksk)

写真がないので載せることができませんが、当日番組には下記のような演目もありました。

 素謡はこの他、「巴」、「鉄輪」、「弦上」、「小督」

舞囃子 「半蔀」  渡辺ヒロ子   大 平山  昇  小 山田風月 笛 角田久美子      地謡 星茂登美 野崎邦子 浜崎幸子 五十嵐久子 

                                                                石田セツ子玉川おくに   大塚利衛 吉田幸子

      「鞍馬天狗」  渡部測行  大 船木真一 小 平山 昇  太 一条正夫 笛 堀篤子  地謡 角田恒雄 佐野健一 鈴木直樹 

                                                                 山田和彦 松川善之助 佐藤昌一

第24回 会津鶴ヶ城薪能 9月23日(祝) 17:30開演 

幸運、天気予報的中、開演直前に雨止む。 夕方まで雨であったが、数えてみると観客は何と200余名に増えていた。

  

朝から雨、15時過ぎから客が一人二人と来る。開演直前(17:20)、それまで降っていた小雨が止み、空も明るくなってきた。 まだ、4,50人の客だが有り難い。2,3問いかけると、福島市や宇都宮からきたと言う。 15:45、すでに装束部屋ではツレ、ワキ、シテの順で着付けが終盤にかかっている。ワキは4週間前に代役となり不安を漏らしているのか、装束方の女性から背中を叩かれ「大丈夫、大丈夫」と激励されているようだ。

  

観世流仕舞「屋島」をベテランが気迫をこめて舞う。 宝生流では「八嶋」 同じく観世流の仕舞「弱法師」は一転、静かな舞で心情が観客にも伝わる。

  

宝生流仕舞、おなじみの曲「高砂」を舞う。謡曲を口ずさむ客もチラホラ 宝生流仕舞、おなじみの「羽衣」鏡板の松の向こうに富士高嶺が見える如く舞う。

  

17:34、火入れの儀の指導に当たる先輩。白装束は神主にあらず  17:34、会津若松市と姉妹都市のむつ市の教育長が来賓として点火

  
17:42,夕闇のな、「お調べ」が鳴り、能が始まる頃には傘を差す人はほとんど居ない 17:51ワキは勅命を受けて薬の水を探しに来たことを謡う。山中の粗末な家を発見

  

18:00,みすぼらしい家に住むシテ枕慈童と会いワキは問答をする  18:13、「二句の経文を菊の葉に写し書くと、その菊の葉からの滴りが不老不死の薬となり、それを飲み、私は七百歳の長寿を保つことが出来た」と言って楽を舞っている場面

    

 地謡8名、後列に上位者が座る。 18:17、シテは周の文帝からもらった枕を取り上げ、示しているている場面

  

18:18 慈童は勅使に700歳の寿命を魏の文帝に捧げる。謡曲では「いかにも久しき、千秋の帝。万歳の我が君と祈る慈童が七百歳を。わが君に授け置き」と謡う 18:19、謡では所はテッケン山の山路の菊水。汲めや掬べや、飲むとも飲むとも。尽きせじや尽きせじと菊かき分けて山路の仙家に。そのまま慈童は。帰りけり」。 テッケン山を仰ぎ見る所作

18:21、ワキ・ツレの退場のあと・囃子方・地謡方の退場と続く 18:25 能が終り、篝火が消え、拍手が止むと虫の声が聞こえてきた.

仕舞    「屋 島」キリ 木村玲子        「弱法師」   山口シゲ子     

                      以上2曲観世流 地謡  小林 忠 河合政弘 湯田真佐弘 長沼 常哲

         「高 砂」    吉田幸子         「羽 衣」    宇田宣子 

                      以上2曲宝生流 地謡  遠藤ヒロ子 石田セツ子 玉川おくに 野崎邦子 渡辺ヒロ子

能「枕慈童」  

         シテ 折笠成美    ワキ 一条正夫    ワキヅレ 皆川米作  角田恒雄

                大 船木真一  太 佐藤  馨  小 浅見晃司  笛 山田和彦

                地謡 相田幸三 渡部 伸  鈴木直樹  上野正義   平林光雄 中村寿男  平山 昇  有我嘉雄

                後見     丑米義弘 小野木 保 伊東 正 一条正夫 木村武晴 荒川 勝

●枕慈童(まくらじどう)あらすじおよび解説

 古代中国魏の国(BC403年〜BC225年)の文帝に仕える家臣が、テッケン山の麓から湧きでる薬の水の源を調べて参れとの勅命を受け、山の中に入って行きます。勅使は一軒の庵に住む一人の童子に出逢います。勅使が「あなたは何者か」と尋ねると、「私は古代中国の周の穆王(BC1,000年ころ)に仕えた者である」と答えます。勅使は「今は周の穆王から数えて七百年も後の魏の文帝の時代であり、人間でそのような長命はあり得ず、きっと化生の物であろう。」と問いつめますと、童子は「いやいや、そなたこそ化生の者だろう。私は、穆王から二句の経文(仏を褒め称える詩文)を書き添えた枕を賜っているのでそれをご覧なさい」と言って枕を示します。二句を菊の葉に写し書くと、その菊の葉からの滴りが不老不死の薬となり、それを飲み、私は七百歳の長寿を保つことが出来たと言います。慈童は「七百歳を送ることができるのは仏徳のお陰です」と説き、「この山の菊の露が滴り落ち、やがて人里に流れ出て薬の水となり、これを汲んで飲むものは皆不老不死の寿命長久となります」と語るのでした。

この作品の童子は生命力のシンボルとして扱われており、同じく長寿の象徴の菊花のイメージを重ねています。「薬の水の源は泉であり、それは酒である」と酒を讃えて、長寿を祝う目出度い曲に仕上げています。

舞囃子の部分の謡曲の内容
 
枕の妙文、疑いなく。具一切功徳慈眼視衆生。福寿海無量是故応頂礼。この妙文を菊の葉に。おくしただりや露の身の。  不老不死の薬となって七百歳を送りぬる。汲む人も汲まざる人も。延ぶるや千歳なるらん。面白の遊舞やな。

 <楽>宮廷舞楽の旋律を模し、神仙ほか中国に題材をもつ能で舞われる。ゆったりと始まり、次第に速いテンポになる荘重な舞です。太鼓入り。

 ありがたの妙文やな。即ちこの文菊の葉に。即ちこの文菊の葉に。悉く現わるさればにや。雫も芳ばしく滴りも匂ひ。渕ともなるや谷陰の水の。所はテッケンの山のしただり、菊水の流れ。泉はもとより酒なれば。汲みては勧め。すくいては施し。わが身も飲むなり飲むなりや。月も宵の間その身も酔いに。引かれてよろよろよろよろと。ただよい寄りて枕を取りあげいただき奉り。げにもありがたき君の聖徳と岩根の菊を。手折り伏せ手折り伏せ敷妙の袖枕。花を莚に伏したりけり。もとより薬の酒なれば。もとより薬の酒なれば。酔いにも犯されず。その身も変わらぬ七百歳を保ちぬるもこの御枕の故なれば。いかにも久しき、千秋の帝。万歳の我が君と祈る慈童が七百歳を。わが君に授け置き、所はテッケン山の山路の菊水。汲めや掬べや、飲むとも飲むとも。尽きせじや尽きせじと菊かき分けて山路の仙家に。そのまま慈童は帰りけり。

Makurajidou The vassal who serves the king Buntei of Gi of ancient China receives the royal command that examines the source of the medical water at the foot of the Tekkenzan mountain. When the vassal enters the mountain, he meets one child who lives in the crude house. When the vassal asks, "Who are you?", the child answers, "I am a person who served the king Bokuou of Syu of ancient China (about BC 1,000)". The vassal says. Now is the reign of the Bun emperor of Gi, after 700 years from the king Boku of Syu.
Because a human being cannot live for 700 years, you might surely be a monster. However the child says that a monster may be you. I have the pillow, given by the King Boku. And Buddhist scriptures of two phrases to praise Buhhda are written in the pillow.
"See this" a child explains, and the pillow(Makura) is shown to the vassal. "The drip from the leaf became an elixir of life if two phrases were written onto the leaf of the chrysanthemum. Therefore, I have lived for 700 years by drinking this drip." Then,he dances saying that the dew of the chrysanthemums in this mountain changes to the medicine.
The child of this literary work is treated as a symbol of vitality, and is piling it up with the image of the chrysanthemum that is the symbol of the long life similarly. Sake is praised in this Noh, saying that the source of the water of the medicine is a fountain, and it is sake. This Noh finishes up celebrating the long life.(by ksk)

春季演能会  201年5月23日(日)  午前10時始まり  入場無料  於、会津能楽堂(観客席は野外)

         予報では午後から小雨だったが、幸い、終了後に小雨となり無事でした。

●能「草紙洗」 

 

能「草紙洗」のはじまりは囃子方のチューニング(お調べ)に始まり、橋掛りから囃子方、右の切戸口より地謡方が舞台に上がる。役者は囃子の合図で舞台に上がってくる。先頭は子方(王)、貫之、立衆、反対側にはシテ(小野小町)、立衆、ワキ(大伴黒主)が進んでくる。

     一同が座して、歌合わせが始まる

舞台には見えないが参加している大勢の歌人達が、それぞれ短冊を提出する場面を想像してご覧下さい。

 王の勅命により小町の歌を詠み上げる貫之 ワキの黒主は小町の歌は古歌「万葉集」にあると異議申し立てをする

    

「ほら、この通り」と万葉集を小町に見せる黒主 身に覚えのない疑いをかけられ、落胆する小町シオリの所作

   

万葉集を確かめると、書き加えられたらしい行や墨に気がつく。草紙を洗えば、書き加えられた新しい墨は消えるだろうと思う。 泣くなく立って、そのことを小町は紀貫之に訴えて、落胆のあまりに帰り始める。

貫之は帝に小町の提案を申し上げると天皇は「洗って見よ」と言い、小町は呼び戻される。  王(子方) ツレの一人が金盥を用意し、水を入れる

疑いを晴らす機会を与えられた小町が草紙を洗うと、文字は全て消えて疑いは晴れる。小町は心配からうれしい表情に代わります。 物着ー途中で装束を替えること。この場合、黒風折烏帽子を付けて貰う

     

     
黒主は王から恥ずべき行為を許される。小町も黒主も遺恨なく、小町は王の所望により「和歌の道こそ愛でたけれ」と舞う

   シテ 玉川おくに 子方 増井典子 貫之 野崎邦子   ワキ 佐野健一 立衆 相田幸三 松尾幸生 

     大 坂内庄一 小 折笠成美 笛 山田風月

        地謡 山垣美恵子  渡部静子 遠藤ヒロ子 宇田宣子 浜崎幸子 佐藤ヨシカ 瓜生光子 広谷元子

          後見 丑米義弘 小野木 保

   舞囃子3番

  「高砂」 シテ 船木真一  大 浜崎幸子 小 山田風月 太 一条正夫 笛 山田智子

               地謡 角田恒雄 皆川米作 相良 実 鈴木圭介 中村寿男 有我嘉雄 星英男

   「盛久」 シテ 伊東 正     大 平山 昇 小 山田風月 笛 石田桂子

               地謡 渡部 伸 鈴木直寿 荒川 勝 木村武晴 角田喜久雄 上野正義 平林光雄 渡部測行 

   「班女」 シテ 宮森京子 

          

         大 船木真一 小 長谷川桂子  笛 栗城幸子         地謡 小林 忠 河合政弘 湯田真佐弘 長沼常哲

 この他、素謡 (班女、経正ほか4曲)、 仕舞4番がありました。写真なし

    

「能」のあらすじと解説

 季節は夏。場所は前半が小野小町邸、後半は宮中。三番目物

宮中で行われる歌合に、大伴の黒主の相手は既に小野小町と決められていました。黒主はとうてい小町にはかなわないと思い、予め小町の歌を知るために小町邸に忍び込みます。そうとは知らず、小町は明日の歌合わせで詠出する予定の題詠歌「水辺の草」を口ずさみます。黒主はそれを聴き、手持ちの『万葉集』の写本の歌の間に「作者不詳」としてその歌を書き入れます。
宮中では歌人の並み居る中で小町の歌が詠まれ、帝は小町の歌に勝る歌はないだろうとおっしゃると、黒主が異議を唱え、小町の歌は『万葉集』に既に詠まれていると言って、証拠として『万葉集』を提出します。『万葉集』を辿って行くと夏の部に小町が提出した歌がはたして記載されていました。小町は歌人としての品格が否定され悲しみに沈みますが、証本の万葉集を見ると自分が盗んだとされた歌の行の乱れと、墨の色が他と違う事を見いだし、黒主が小町の歌を盗み聞きした後書き加えたものではないのかと怪しみ、この草紙を清らかな水で洗いたいと申し出ます。上奏役の紀貫之はもし水で洗ってその歌が消えなかったら、いっそう不面目となろうと言います。小町があまりにもうちひしがれて退出する姿を見て貫之は小町を止め、帝に草紙を洗う許可を取り次ぎます。帝は許可し、小町は草紙を水で洗います。洗うと他の歌はそのままなのに、自分が盗んだという歌は跡形もなく消えてしまいます。小町は喜びの中に、帝に草紙を提出します。
一方、自分の企てが露見した黒主は、もはやこれまでと思い自害しようとします。小町はそれを押しとどめ、黒主の行為は歌道を嗜む熱心さから起きたことだと寛容を示し、帝も道に熱心のあまりであるとして許します。歌人達は、一人は疑いが晴れ、一人は熱心さのあまりとして許されためでたさに、小町に帝の御前で舞を舞うように勧めます。花の薄衣に風折烏帽子を身に着けた小町は美しく舞い納めます。

 解説
登場する歌人達は何れも『古今和歌集』の歌人ですが、小町と黒主は同時代でも紀貫之等は50年後の時代の人であり、また「道」の概念は中世に確立するところからも、このエピソードは史実ではなく、『古今和歌集』の仮名序を素材としたフィクションだと考えられます。主題は「和歌の道こそめでたけれ(和歌の道に熱心であることは優れて価値が有る)。」というものですが、観客の興味は前半で黒主が観客に告白した卑劣な企みが、後半の歌合の場でどのように展開し、小町は自分にかけられた嫌疑をどのように乗り越え、事態がどう納められるのかに置かれます。まさしく緊張感のあるドラマです。また、草紙を洗う場面は和歌集の部立(『万葉集』ではなく、『古今和歌集』)に従って謡い進めて行くのですが、それは古典の文言をちりばめた聞かせ所であり、さらに不安の気持ちを隠して草紙を洗う小町の姿は美しい絵になる所でもあります。最後は嫌疑が晴れて喜びの中に「中之舞」を舞い、「キリ」を舞い、「和歌の道こそめでたけれ。」という主題で収めます。
能『草紙洗』は小野小町の登場する能では最も若い小町であり、また歌人としての生身の姿が生き生きと表現されている曲だと言って良いでしょう。(文責 山田和彦)


 
Soshi-Arai

Synopsis
During the 9th century of the Heian Era, Otomo no Kuronushi (waki) and Ono no Komachi (shite), both among the "Six Poetic Geniuses" of the time, are set to compete against each other in a poetry contest at the imperial palace.
Kuronushi is sure he will lose because Komachi`s skill is greater. So, he sneaks into Komachi`s house. Komachi is at home composing a poem based on the contest topic, "water grasses." Kuronushi eavesdrops and steals her poem.
Kuronushi`s plan is to insert Komachi`s poem into the "Man`yoshu"(an anthology of 4,500 poems compiled around 759 AD) and accuse her of plagiarism. And so, he waits for the contest to begin on the following day.
(Interval)
The day of the contest, the greatest poets of the era have gathered before the Emperor. It is a spectacular display of courtly elegance. The reading of poems begins. Komachi`s poem is chosen first. Kuronushi objects and presents the copy of the "Man`yoshu" he has prepared as evidence. He says Komachi copied an old poem. Alarmed by this sudden accusation, Komachi defends herself at all odds. She notices that the black ink of the stolen poem is newer than the rest of the book. She requests to wash the book in clean water. The courtier, Tsurayuki, says that if the book is washed and the ink doesn`t fade, it would be a disgrace. Upset and overcome by shame, Komachi attempts to leave. But, Tsurayuki speaks to the Emperor, who decrees that he will forgive the washing of the book.
Then, Komachi washes the book in a golden wash tub. The ink of the old poems does not fade. However, the new ink Kuronushi used to write the stolen poem is completely washed away. Kuronushi`s trick is uncovered and Komachi is proven innocent.
In this turn of events, Kuronushi becomes ashamed and decides he has no choice but to commit suicide. Komachi stops him and says his actions were caused by an enthusiasm that is essential to the art of poetry composition. The emperor agrees with Komachi and forgives Kuronushi. The gathering of poets is glad Komachi`s name has been cleared and Kuronushi`s devotion to the art of poetry has been forgiven. In a flowered robe and courtier`s cap, Komachi dances before the court in celebration of peace and the virtues of poetry.
Commentary
This play may be referred to as "gendai noh"(realistic). All the poets who appear are in the "Kokinwakashu," (or "Kokinshu") which is an anthology compiled around 920 AD. It covers about 140 years of court poetry arranged by topic (e.g. seasons, congratulations, love, travel, laments). Komachi and Kuronushi lived during the same time period, but Ki no Tsurayuki (one of the four compilers) lived fifty years later. This means that the events of this play are probably fictional. The theme is "When the poet is ardent, the art of poetry is superior." The audience`s interest is captured by the suspenseful drama of Kuronushi`s crafty plan and how Komachi clears herself of suspicion. The scene in which she washes the book is a particular highlight of this play. With joy, she performs chuunomai (a medium tempo dance) and kiri (a faster tempo closing dance).    

  

 

  

   

 秋季演能●能「松虫」 10月24日