「曽我物語」の能


能「小袖曽我」
第十九回 会津鶴ヶ城 薪能 より
(写真提供 船木宗市)

能の演目には「曽我物語」、「吾妻鏡」を典拠とし、曽我兄弟の敵討ちを題材とする“曽我物”と呼ばれる作品群が有ります。ここでは物語の進行に従って、それらの作品のあらすじを紹介します。(これらの他にも数曲存在しますが、廃曲に成ってしまっていて謡曲本文を入手出来なかったので割愛します。)


「切兼曽我」 (廃曲)
 [前]源頼朝は一萬(曽我十郎祐成の幼名)と箱王(曽我五郎時致の幼名)の曽我兄弟が将来敵と成る事を心配し、兄弟を召し連れる為に梶原景季を曽我の里へ遣わす。兄弟の母は親子の別れを嘆き泣く泣く見送るので、景季は命だけは助けようと誓って連れ帰る。
 [後]鎌倉へ着いて景季は頼朝へ兄弟の命乞いをするが、工藤祐経の反対意見もあり、頼朝に兄弟を討つ様に命じられる。死をも恐れぬ兄弟の潔い最期の様を目の当たりにし、景季は討つ事が出来ず、太刀を投げ捨てて泣き伏してしまう。そこへ畠山重忠の取り成しによる赦し状が届き、兄弟は重忠に預け置かれる事と成る。一同は悦びの酒宴を開き舞を舞い、やがて故郷へ帰って行く。

「調伏曽我」 (宝生流、金剛流、喜多流の現行曲)
 [前]源頼朝は工藤祐経らを従えて箱根権現へ参詣する。箱王は箱根別当と共に頼朝の威光を拝しに現れるが、父の仇である祐経を見て幼な心にも復讐心を起こす。祐経は箱王を呼び寄せて、父河津殿を射殺したのは自分ではない、と言い逃れをする。やがて頼朝に従って帰る祐経を見て、箱王は同輩の太刀を盗み取って追い駆けるが、別当に制せられて別当の坊へと帰って行く。
 [後]別当は箱王の志に同情し、護摩を焚き祐経の形代を供え、不動明王に祐経調伏の祈願をする。やがて護摩壇上に不動明王が現れ、形代に剣を刺し通し首を切り落として、箱王がやがて本望を遂げるであろう事を予言する。

「元服曽我」 (喜多流の参考曲)
 曽我十郎祐成は父の敵祐経を討とうと思っているが、自分一人では心許無いので、弟箱王を連れ出すために箱根へ向かう。箱根別当は、曽我兄弟の母の仰せで預かっているのだし、やがて出家させて自分跡を継がせたいからと受け入れなかった。しかし兄弟の敵討ちへの熱意に負けて、箱王を送り出す。
 祐成は、このまま母の許へ立ち寄っても箱王の元服は許されないだろうと考え、途中の宿で元服の儀式を行う。そこへ別当は箱王の髪を生やしてやろうと追い掛けてやって来るが、既に兄によって髪が生やされて見事な男と成った箱王を見る。一同は元服を祝い酒宴を開き舞を舞い、本望を遂げようと勢い付く。

「小袖曽我」 (五流の現行曲)
 曽我兄弟は祐経を討つために富士の裾野へ向かう途中、時致の勘当を許して貰おうと曽我の里の母を訪れる。祐成は喜び迎えられるが時致は会う事さえ許されず、以後も引き続き勘当と言い渡される。祐成は、時致が敵討ちの責任を逃れる為と受け取られる事を厭って出家を思い留まった事や、毎日法華経を読み父を弔い母の身上を案じていた事を語る。母は涙ながらに時致の勘当を解いたので、一同は悦びの酒宴を開き舞を舞い、敵討ちへの門出を祝う。(喜多流の小書「物着」では、門出の祝いに母から“小袖”を貰い、それを着て兄弟が舞を舞う。)

「夜討曽我」 (五流の現行曲)
 [前]源頼朝の富士の裾野での巻狩の場で、曽我兄弟は今宵祐経を夜討にするので、形見を持って従者の團三郎と鬼王を曽我へと帰そうとする。しかし二人は主君を見捨てて去る事を望まないが、許されないので刺し違えて死のうとする。兄弟は形見を持って母に届け慰めるのも忠誠であると説得し、團三郎と鬼王は曽我へと帰って行く。
 [間]曽我兄弟が祐経の寝間に討ち入って来たので、吉備津宮の神主である大藤内は命辛々逃げ出して来る。後から追って来た狩場の男に呼び止められて、夜討の様を物語り、刀と帯だけを持って逃げ出して来たと言う。男は、大藤内の背中が斬られている、とか、曽我兄弟が追って来るに違いない、などと誑かし逃げていくので、大藤内も後を追って逃げて行く。(この演出は大蔵流の場合と、和泉流での小書「大藤内」の場合に演じられる。)
 [後]時致は兄から逸れ大勢と戦っていたが、女装をして近寄って来た御所五郎丸に捕られ、頼朝の御前に引き立てられて行ってしまう。(観世流の小書「十番斬」では、間狂言と後場の間に下記「十番斬」に基づく、時致と新開忠氏、および祐成と仁田忠綱の斬り合いの場面が挿入される。)

「十番斬」 (廃曲)
 [前]曽我兄弟に心を通じる宮使いの女である二ノ宮は、夜に入って兄弟を祐経の仮屋へと案内する。兄弟が祐経を討ち遂げると宿直の兵達が慌て騒いで現れるので、兄弟は武勇の名を残そうと更に御所の兵に戦いを挑む。時致は新開忠氏と戦いながら御所へと追って入って行く。
 [後]一方、祐成は戦い疲れたところを仁田忠綱に打ち伏せられて、やがて首を打ち落とされてしまう。

「禅師曽我」 (観世流、宝生流、喜多流の現行曲)
 [前]團三郎と鬼王は曽我の里へ帰り、兄弟が本望を遂げた事を母に語り形見を渡す。母は悲嘆に暮れるが、越後に居る末子の国上禅師の身の上を案じ、二人に禅師への文を託す。(宝生流では前場が省略されている。)
 [後]禅師は兄達が敵討ちを遂げた事を知らず護摩を焚いているところに、義父の伊東祐宗がやって来る。丁度その時に團三郎より母からの文を受け取り、祐宗が頼朝の命令で自分を捕らえに来た事を悟る。禅師は義父の名を挙げさせようと覚悟を決めて太刀を持って戦い、やがて自害しようと護摩壇へ走り上がるが、生け捕られてしまい鎌倉へ護送される。

「伏木曽我」 (廃曲)
 [前]生前の祐成と妹背の契りを結んでいた虎御前は、兄弟が果てた跡を尋ねようと富士の裾野にやって来た。そこへ狩人が二人現れ曽我兄弟の旧跡を案内し、当時の有様を物語っているうちに、祐成の墓所に立ち寄るようにして姿を消してしまう。
 [後]虎御前は墓前で故人を偲んでいると夢に祐成が現れ、富士の裾野での有様を語る。七日間の狩の最終日に念願の敵祐経と出合って、弓を引いて射ようとした瞬間、伏木に馬の足を取られ転げ落ちてしまい機会を逃してしまった。その夜半に館に忍び入って敵を討ち、そのまま土中の屍となり裾野の草に埋もれてしまったが、高く名を挙げた事が救いであると物語るうちに夜が明け、虎御前の夢は覚めるのであった。




参考文献
 ・岩波講座「能・狂言」 岩波書店(1987〜1992)
     第三巻 「能の作者と作品」、第六巻 「能鑑賞案内」、別巻 「能楽図説」
 ・日本名著全集 第一期 江戸文藝部 第二十九巻 
    「謡曲三百五十番集」 日本名著全集刊行会(昭和3年)
 ・大正改版喜多流謡曲正本 第二十巻 わんや書店(大正14年)
 ・観世流大成版謡本 「夜討曽我」 檜書店

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(文責 船木 真一)